大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和38年(う)2232号 判決 1968年3月29日

主文

昭和三八年(う)第二二三一号事件の原判決中有罪の部分、昭和三八年(う)第二二三二号事件の原判決をいずれも破棄する。

被告人らはいずれも無罪。

理由

第一控訴趣意第一点(判決自体の憲法違反の主張)について。<省略>

第二控訴趣意第二点(審判の請求を受けない事件について判決した違法の主張)について。<省略>

第三控訴趣意第三点の第一(理由不備の主張)について。<省略>

第四控訴趣意第三点の第二(理由不備の主張)について。<省略>

第五控訴趣意第四点(甲)、同補充書第一、二点(闘争経過に関する事実誤認の主張)について。

論旨は、原判決の認定した和教組の勤評反対斗争の経過について、その結論及びその過程における個々の事実についての事実誤認を主張するものであるが、要するに、本件一斉休暇斗争は、情勢の推移に対応して、和教組々合員の民主的討議を重ね、圧倒的多数の意思により遂行せられたものであるのに拘わらず、原判決は右斗争に至る過程における被告人ら和教組執行部の行動について、証拠上明らかな事実を敢えて無視する等、意図的に歪曲した事実を認定した上、これを前提として、本件休暇斗争を以て被告人ら和教組執行部が勤評の実施を阻止せんが為、右「一斉休暇斗争を目標」に第一波ないし第五波斗争方針案を企画し、「機関決定の形をとり、」組合員の「意思統一と称して、」「強力な説得、指導を繰り返し」て組合員を「系統的に訓練し、準備し、」勤評規則制定の暁には休暇斗争に突入しなければならない雰囲気(ムード)を作り上げて来た上、「時期をとらえて、」本件休暇斗争指令を発出、伝達したとし、右指令の伝達を、せん動に該当すると結論づけているのであるが、これは休暇斗争戦術の位置づけ、それが和教組々織内の大会ないし拡斗等の機関によつて、民主的に決定された組織の意思であること、和教組執行部と組合員との位置づけを全く無視したもので重大な事実の誤認があるというのである。

そこで、原審で取り調べられたすべての証拠に当審における事実調べの結果をも参酌して、所論指摘の原判決認定の休暇斗争実施に至る過程における個別的事実について順次判断する。

(1)  昭和三三年一月二一日の和教組第一四回臨時大会について。

論旨は、右臨時大会において取り入れられた斗争戦術は十分な下部討議を尽しておらず、組合員の方向とは必ずしも一致していないとする原判決の認定は誤つているというのである。右和教組第一四回臨時大会において、原判示日教組第一六回臨時大会における決定事項を確認すると共に、これを基本とする斗争体制、及び重要段階には休暇斗争を含む強力な統一行動を実施する等の斗争方針案が議案とされており、これが満場一致の賛成を得て、可決されたことは原判決の認定するところであり、関係証拠によつても明らかなところである。原判決は右議案とされた日教組臨時大会議案は、和教組において事前に十分な下部討議を尽していない。だから、和教組臨時大会で決定された右の斗争戦術も組合員の方向とは必ずしも一致しないというのである。なるほど、関係証拠によると、さきの日教組臨時大会議案自体は、同大会が原判示勤評全国試案の公表等によつて、勤評全国実施の情勢等事態の緊迫化に対応して予定を繰上げて開かれた為、その議案も大会開催の四日前日教組中央執行委員が和歌山県に急遽出張してその説明を行つたほどで、その為和教組においても一部の支部において代表委員会等を開いて討議したほか、本部拡斗において支部の意見を集約して和教組としての態度を決めて日教組臨時大会に臨んだ程度で、それが開かれた時期からみても十分な下部討議を経たとは考えられない。しかし同臨時大会には和教組より代議員のほかに各支部より計約二〇名の傍聴者が派遣されており、和教組臨時大会はそれより約一ケ月後に開かれ、その議案は、和教組の機関紙である同年一月四日付和教時報(証四七号)により下部組合員に伝えられ、その討議の対象とされ、大会までに十分その為の時間的余裕が与えられており、現に各支部で代表者委員会、執行委員会等にも提案討議されたほか、職場においても組合員相互間において討議され、休暇斗争戦術については組合員にも十分理解され、その賛否の比率は明らかではないが、これに賛成の者もかなり多数あつたことがうかがわれるのである。そして右臨時大会においては適法に選出された代議員によつて右議案は満場一致の賛成を得て可決されているのであるが、代議員の意思は、勿論組合員全員の意思と完全に一致することを期待することは固より不可能であり、その為実質的にみてあるいは一部組合員の意思を忠実に反映しないもののあることは免れないけれども、仮にそのような事実があつたとしても、代議員は組合員の意思を代表するものである以上、その賛成を得て決定された戦術はすなわち組織の意思とみるべきは当然であつて、これは代議制をとる以上やむを得ないところとしなければならない。したがつて原判決がいうように、和教組臨時大会の斗争戦術は、一部組合員の方向とは必ずしも一致しないところがあつたとしても、これを非難するのは当を得ないものというべきである。

(2)  昭和三三年二月二二日の和教組第一五回定期大会の状況について。

論旨は、右定期大会において議案とされた運動方針案が審議未了となつたのは、原判決認定のような理由からではなく、他の議案の審議に時間をとられて審議する時間がなくなつた為であるというのである。

右和教組定期大会において、議案とされていた原判示一斉休暇等を含む運動方針案が、審議未了となつて次の拡斗に決定を委任されたことは、原判決の認定するところであるが、右審議未了となつた理由については、関係証拠によつても必ずしも明らかではない。この点につき原判決は、右の運動方針案について意見、修正案等が出て時間切れとなつた為であるとし、このことを以て右運動方針案は組合員の方向と一致していないことの理由ともしているのである。ところで右定期大会において審議を予定されていた議案は右の運動方針案のみではなく、そのほかにも前年度の決算報告とその承認、次年度の予算ならびに役員の選出等の議案のあつたことは明らかであるが、その審議の順序について証拠上必ずしも明らかではない。しかし、関係証拠、殊に、海草支部の第一九回支部委員会議案(証四二号)中、同支部委員会において行われた和教組定期大会に関する報告として、「方針・時間切れのため次期委員会に付託、(修正案提出・理由説明をして、)」と記載されていること、伊都支部の組合関係書類(証七号)中、同支部において昭和三三年三月九日に行われた支部第二一回定期大会議案中に、「第二号議案、県大会決定事項承認の件、運動方針については質問、意見等述べられた後、決定は県委員会に委任、」との記載のあること等を総合すると、議案審議の常識として先づ運動方針案が審議されるべきであろうけれども、その基本方針はさきの第一四回臨時大会においてすでに決定されていたことでもあり、先づ予算案及び役員選出議案を審議したのち、最後に運動方針案の審議に移つたとも考えられないことはなく、ところが役員の選出等に思わぬ時間を費し、運動方針案の審議をする時間的余裕がなくなつたばかりか、質問、修正意見等が述べられた為十分な審議をすることができない儘、次期拡斗に決定を委任したと考える余地も十分あるのである。ただ右の質問、修正意見がいかなる内容のものか必ずしも明らかでなく、あるいは運動方針として「一斉」休暇斗争ということがはじめて打ち出されたときだけに、そのことの反対意見あるいは修正意見とも考えられるが、一面予算案についても修正意見の出されていたことは証拠上明らかであるから、必ずしも右のように断定することもできないのである。したがつて原判決のように、右の運動方針案が審議未了となつたことを以て、直ちにこれに対する反対が強かつた為であり、これが組合員の方向と一致していなかつたものと断定することは早計であつて当を得たものではない。

(3)  昭和三三年五月七日の和教組拡斗の状況について。

論旨は、右拡斗において原判示の斗争方針案が原案どおり可決されたことは原判決認定のとおりであるが、その状況に関する認定に誤りがあるというのである。しかしながら関係証拠によると原判示の経過により右斗争方針案が可決されたことを認めることができるのであつて、右認定に誤りがあるとは考えられない。もつとも、原判決の認定は、所論畦田幸右衛門の検察官に対する供述調書中の供述記載とやや表現に相違のあることは所論のとおりであるけれども、斗争方針案に対し慎重論が強く打出されたことに何らかわりはないから、右の認定が誤りであるということはできないし、又右畦田の検察官に対する供述調書が信用性を欠くものとも考えられない。ところで右拡斗後においても一部の支部においては、右戦術の採用について逡巡の態度を示していたことは認められるが、すべての支部の態度については必ずしも明らかではない。したがつて原判決が、「各支部」がいずれも逡巡していたかの如く認定し、これを以て直ちに、和教組執行部と組合員の方向にかなりの懸隔があつたとするのは正鵠を得たものではないが、又一方逡巡を示した支部は全くなかつたとする所論も採用し難い。

(4)  昭和三三年五月一二日の和教組拡斗の決定について。

論旨は、右拡斗において提案可決された一斉休暇斗争に関する原判示指令二号案を、いわゆる準備指令としての意味に解した原判決の認定は誤りであるというのである。

右拡斗において、原判示のような指令、あるいは指示その他の各議案が審議され、それらがいずれも可決されたこと、所論の指令二号が原判示の如き内容のものであることは証拠上明らかである。そして、関係証拠により認められる、当日拡斗において同時に決定された他の指令、指示案等の各内容、全組合員による原判示一斉休暇斗争に対する賛否投票の投票日を五月一八日と定め、その結果の公表も和教組執行部に一任しているうえ、同日あらためて拡斗を開くことも予定されていたこと、そして予定どおり当日拡斗を開き、執行部案としてあらためて一斉休暇斗争案を提出していること、もし、前記指令二号案の趣旨が原判決認定の如きいわゆる準備指令として効力を有するものとすれば、これを予め指令として全組合員に発出する必要が当然考えられるのにその事実は全く認められないこと、等を彼此考え合わせると、右指令二号案可決の趣旨は、原判決認定の如く、一斉休暇斗争の実施を全員賛否投票の賛成率が八〇パーセント以上あることにかからしめたものではなく、これを実施するか否かを決定するについての重要な参考資料とする意味のものであつて、もしその結果賛成率が八〇パーセント以上あつて一斉休暇斗争の実施が提案され、それがあらためて可決されたときは、執行部が直ちにその指令を発出できるよう、予めその準備の意味において、右の指令あるいは指示の各案が提案可決されたもので、いわば一斉休暇斗争を実施する為の準備を整える意味をもつものと解するのが相当である。<中略>されば、原判決の前記認定は前記指令案可決の意味を誤認するものといわざるを得ない。又原判決は右五月一二日の拡斗において同時に可決された「全員参加による措置要求大会を組織するに当つて、」と題する行動規制案の中で「各職場毎に措置要永書を発表するに際して統一行動参加点検を行うこと」と定めたことを以て、全組合員をしてそれに参加せざるを得ないように仕向けたと認定しているけれども、右の定めが右認定の如き意味を有するものとは必ずしも解せられないし、仮にそのように解せられるとしても、組合運動の実態に即してこれを考えると、右の規制も、組織意思形成の過程においてとられる方策として敢えてこれを非難するには当らないのであつて、原判決のこの点の認定も正鵠を得たものとはいい難い。

(5)  昭和三三年五月一八日の和教組拡斗の状況について。

論旨は、右拡斗において、五月二〇日に一斉休暇斗争を実施する旨の執行部案を提案しながらこれを見送つたのは、前記賛否投票の賛成率が八〇パーセントに満たなかつた為ではなく、県教育委員会の小山教育委員との約束によつて五月二〇日に県教育委員会との団体交渉を開くことができる見透しが明らかになつた為であり、したがつて「賛成率の低いところはオルグ活動によつて意思統一をはかる、」ことにした事実もない。原判決のこれらの点の認定は誤つているというのである。

しかしこの点に関する関係証拠、殊に「勤評反対斗争の発展と斗いの方向」と題する書面、(証八五号)東牟婁支部書記局日誌、(証三四〇号)の各記載を仔細に検討すると、右五月一八日の拡斗において、五月二〇日一斉休暇斗争実施の執行部案を提案しながらこれを見送らざるを得なかつたのは、原判決認定のとおり、その比率は必ずしも明らかではないが、前記全組合員による賛否投票の賛成率が期待した八〇パーセントに満たなかつた為であること、その為執行部よりあらためてその賛成率の低いと思われる支部ヘオルグを派遣する等して組合員の意思統一をはかることとしたものであることは十分認められる。もつとも、原審証人小山周次郎の証言によると、結果的には原判決も認定するとおり、五月二〇日に県教育委員会も原判示七者共斗との団体交渉に応じたとはいえ、七者共斗が小山県教育委員と話し合いをしたのは、右拡斗の行われる前日すなわち五月一七日から翌一八日午前四時頃までの間であつて、それは県教育委員会としては、七者共斗との団体交渉を拒否していた関係から小山委員が個人として話合いに応じたもので、同人と別れた時点においては、同委員はただ、「教育委員会の右の方針は自分が勝手に覆えすことができないから、あらためて他の教育委員とも相談した上で二〇日に返事をする、」旨約束したに過ぎず、県教育委員会として正式に団体交渉に応ずることを約束したものでは決してなく、(この点原判決の認定には誤りがある。)したがつて右の約束の程度では、未だ所論の如く、五月二〇日に県教育委員会との団体交渉ができる見透しが明らかになつたとはいえないし、仮に執行部の者が当時そのように解していたとしても、右約束が為されたのは五月一八日の拡斗(午後一〇時頃から開かれている。)の開かれた日の午前四時頃のことであるから、その約束によつて五月二〇日実施予定の休暇斗争を見送つたというのであれば、拡斗の開かれた冒頭においてそのことをはかり延期すれば事足りるのであつて、敢えて徹宵討議する必要は認められないのに、それが為されているのは延期の理由が所論の如きものではないことを物語るものとはいえるのである。所論は、「市職組緊急連絡」と題する書面(証四〇〇号)を引用して右理由を根拠づけようとするけれども、その記載内容に徴し、右書面は所論事実とは関係のあるものではなく、又五月一九日通信連絡と題するメモ様のもの(証第三九八号)によつても、その連絡の日時の記載に徴し前記認定を左右するに足りないし、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(6)  昭和三三年五月二〇日の伊都支部職場代表者会の状況について。

論旨は、右支部職場代表者会において被告人坂本昇は、「一斉休暇斗争突入の体制を整えるかどうか、意見発表を求め、」あるいは「それを困難とする職場にオルグを派遣する、」と述べたこともないのに原判決が右の事実を認定したのは誤つているというのである。

なるほど、原判決は所論の右発言が、いずれも被告人坂本昇の発言であると認定していることは所論のとおりであるが、塙坂大炊介の検察官に対する供述調書によれば、職場代表者に原判示意見の発表を求めたのは支部長(当時玉置力)であり、そのあと一斉休暇斗争突入の体制を整えることの困難な職場にオルグを派遣する旨述べたのは、坂本書記長(被告人の意)であるというのであつて、そのすべてが被告人坂本の発言であるとは述べていない。そしてそれらは、組合の支部長あるいは書記長として共に組合の指導的立場にあつた者の発言として当然考えられるところであつて、右塙坂大炊介の供述も十分信用できるのである。所論引用の各証拠あるいは当審証人玉置力(当時の支部長)の供述中右認定に反する部分はたやすく信用し難い。そうだとすると、原判決の前記発言はすべて被告人坂本の発言であるとの認定は誤りであるといわざるを得ない。

(7)  昭和三三年五月二一日の西牟婁支部の合同職場会の開催等について。

論旨は、西牟婁支部執行部が、合同職場会の開催ならびに原判示決意書の署名要請をした目的は、原判決が認定するように、一斉休暇斗争についての賛成投票率が低いので意思統一をはかることにあつたのではないというのであるが、関係証拠、就中「勤評反対斗争の発展と斗いの方向」と題する書面(証第八五号)中の記載を総合すると、西牟婁支部執行部が右日時合同職場会を開いて、原判示のような決意書に署名を求めることにしたのは、原判決の認定するとおり、さきに行つた一斉休暇斗争についての全員投票において、西牟婁支部の賛成率が低かつたので、その意思統一をはかるのが目的であつたことが明らかであつて、このことは同支部において特に合同職場会が開かれたこと、その時期、決意書の内容等に徴しても十分認められる。したがつて原判決の右認定には所論のような誤りはない。

(8)  昭和三三年五月二五日の日高支部職場代表者会の状況について。

論旨は、右職場代表者会において、原判示の決意書の備考欄に、統一行動に参加する決意をすることに反対する理由を記入することを要求したことはないのに、これを要求したとする原判決の認定には誤りがあるというのであるが、関係証拠、<中略>教組関係綴(証第五三号)のうち第三回職場代表者会日程の記載によると、五月二五日に開かれた右支部職場代表者会において、統一行動についての意思統一をはかる為、同月三〇日までに原判示のような決意書を支部書記局へ送付することを決めたが、その決意書に備考欄を設け、これに反対する者にその氏名と理由を記入することを要求したことが十分認められるのであつて、この点に関する原判決の認定には所論の如き誤があるとは考えられない。

(9)  昭和三三年五月二九日の和教組拡斗の状況について。

論旨は、右拡斗において、原判決は東牟婁、西牟婁、伊都などの各支部から出席した県委員から、休暇斗争を実施すれば組織の統一を保持することが困難で賛成し難いとの意見が提出された旨認定したが、右各支部はすでに一斉休暇斗争への意思統一は殆ど完了していたので、右のような意見が表明される筈はないというのである。しかしながら<関係証拠>によると、右五月二九日の拡斗は、同日行われた七者共斗と県教育委員会との団体交渉を終えたのち、午後一〇時頃から開かれたものであつて、それは当時県教委員会が六月に入れば団体交渉を打切り、勤評規則を制定実施するものと情勢判断をし、これに対応して右勤評実施を阻止する為、一斉休暇斗争を実施すべきであるとの執行部案を審議するのが目的であつたことは明らかである。そして執行部の右提案に対し、東牟婁、西牟婁、伊都の各支部から原判示のような反対の意見が提出されたことから相当論議の末、可決されたことが明らかで、このことは翌朝五時頃に漸く閉会となつたことによつてもこれをうかがうことができるのであつて、所論の如く全く反対意見がなかつたとはとうてい考えられない。所論引用の各証拠のうち右認定に反する部分はたやすく信用し難く、原判決の右認定には所論の如き誤りがあるとは考えられない。

(10)  本件斗争経過全般に関する認定の誤りの主張について。

この点に関する論旨については、さきに掲げたとおりであつて、原判決は被告人ら和教組執行部の行動を以て、「一斉休暇斗争を目標」として為されたもので、それが「機関決定の形」をとつたとし、さらに、組合員の「意思統一と称して」説得、指導を繰返し、一斉休暇斗争への雰囲気(ムードともいう)を作り上げて来たと結論づけていることは所論指摘のとおりである。そして右結論の前提として認定する経過的事実を詳細に認定しているが、その中にはさきに判断した如く事実それ自体、あるいはその評価に誤りのあることが散見されるので、その点をも参酌しながら原判決が本件斗争の経過的事実として認定したところを仔細に検討すると、原判決は和教組執行部が、本件一斉休暇斗争を実施するに至るまでの間における和教組と、県教育委員会との交渉経過を詳細に認定しており、その斗争戦術についても県教育委員会の動向、その他事態の推移に対応し、かつ組合員の意向をも勘案しつつ、当初は最低二割、五回の休暇斗争、次いで休暇斗争を含む統一行動、最後には一斉休暇斗争等と徐々に強化、確立されて来たことを具体的に詳細に認定しているほか、その諸々の斗争戦術についても、内部規律に従つてその都度、正規の組合の議決機関である大会、あるいは拡斗に提案し、慎重な討議を要求し、適法に選出された代議員らの討議を経て決定し、その決定されたところにもとづいてこれを実行に移して来たこと、すなわちこれらがいずれも民主的に決定されて来たことを詳細に認定しているのであつて、このこと自体をみると、原判決は決して所論の如く、和教組執行部は一斉休暇斗争のみを目標とし、県教育委員会との団体交渉を全く無視し、又、和教組の議決機関を全く形式的なものとし、これをも無視して行動していたものと認定しているわけではない。しかし原判決も認定している如く、和教組は日教組同様勤評絶対反対の態度をとり、昭和三二年九月一九日日教組指示四号にもとづき、指示二号「勤評反対斗争の件」を発出して、日教組第四三回中央委員会の情勢分析として、文部省が勤評議案を各県教育委員会へ通達する時期を同年九月末から一〇月上旬と想定した旨を伝え、勤評反対斗争の基本方針を指示する一方、日教組中央執行委員長と和教組執行委員長連名の指令一号「勤評反対斗争に関する件」を発出して、勤評反対決議をする等の指示をし、これが和教組における勤評反対斗争の端緒となつていること、その後の和教組の勤評反対斗争の推移として、原判決が詳細に認定しているように、当初和教組執行部は、勤評反対のみを中心に組合員の意思統一をはかる等組合内部における意思強化の面に主眼がおかれ、次で勤評阻止の為の具体的方策に移行し、徐々にその斗争戦術も事態の推移に対応して多様化され、強化され、具体化されて来ているのであるが、その推移からも見られるように、和教組執行部は県教育委員会と団体交渉をもつ以前において、既に勤評阻止の為には妥協は許されず、修正斗争は全面的敗退であるとの立場をとり、その為には長期かつ困難な斗いが必要であると強調し、最悪の場合には休暇斗争をも辞さないとする基本方針をとり、それを最後まで崩さなかつたことは否定し難い事実であること、そして、その斗争の全過程を通じて認められるように、本件は一斉休暇斗争を含めてすべての斗争の基本方針その具体的斗争戦術案は日教組の方針にその原流を求めるものであるとはいえ、すべて和教組執行部において、企画、立案されたもので、それを大会、拡斗等の議決機関に提案してその趣旨の説明ないし情勢の報告をし、反対の意見あるときは強力に説得、指導し、あるいは論議の末、可決されたものもあること、その間オルグ活動も活溌に行い、殊に斗争意識の弱いとみられる支部に対しては、特にオルグを派遣して、意思の統一、強化の為の教宣活動を積極的に行つていること、このように和教組執行部の長期にわたる積極的な指導、説得等により組合員の意思の統一がはかられ、それが徐々に強化されて斗争の気運が盛上つて来たことも否めない事実であつて、執行部のかかる積極的な指導行為なくして一般組合員のみの自発的な盛上りのみによつて機関決定が為されたものではないことはいうまでもないところである。原判決はこうした和教組執行部の積極的指導行為が、本件休暇斗争を実施するに至つた原動力となつたものとみて、さきの要約の如く結論づけたものと考えられる。しかし、本件斗争経過においてみられる斗争戦術が仮令和教組執行部の企画、立案にかかるものであり、それが討議、決定され、実施されたものであるとしても、そのすべてが何らの反対もなく、執行部の意図の儘に為されたものでもないことは明らかである。勤評自体については執行部は勿論組合員の殆どが強くこれに反対していたことは事実であり、これを阻止する為には休暇斗争以外には方法はないとして、これを支持していた者も相当多数あつたことは否定し難く、このことはさきに認定した五月一八日の全組合員による賛否投票の結果にも現われているところであるが、反面これに反対する者もあつたことも事実であり、そのことは一斉休暇斗争実施を決定した六月三日当時においても、一日授業しないことに対する罪悪感と組織が決定したからやるという悲壮感の中に立つていた者もあつた(前掲証第八五号の記載参照)ことからもうかがわれるところである。とはいえ、本件休暇斗争は組合員多数の支持のもとに決定され、実施されたものであつて、被告人ら和教組執行部の者において、これに反対する者を抑圧しあるいは無視して一方的に押し切つて決定されたものでもなく、すべて組合の正規の議決機関に提案し、十分な討議を経て民主的に決定されたもので、それはすなわち、組織の意思にもとづくものであつて、一執行部の者の意思にもとづくものでは決してない。勿論それを企画、立案したのは執行部であり、その積極的な指導、説得等が大きく影響した上でのものであることは否めないとしても、そうした執行部の企画、立案、提案、説得等の一連の行為は、組織的意思形成過程における必要かつ不可欠のものであり、そして一旦それが議決機関により議決され、組織的意思が形成された以上、もはや個人の意思を離れて組織の意思となるのであり、これにもとづいて為される執行部の指令の発出、伝達等の行為も右の執行として為されるのであつて、これまた組織的意思実現の為の必要にして不可欠の行為といい得るのである。これら組織的意思形成ないし実現過程において行われる行為も、それが組合執行部等幹部の者によつて行われる場合と、下部組合員によつて行われる場合とによつて、斗争全体に及ぼす影響力に相違のことは固より否定することはできないけれども、これらの争議行為に必要かつ不可欠ともみられる行為を法律上争議行為自体と別個に評価する理由はない。原判決は、被告人ら和教組執行部の行為を前記の如く評価し、宛ら、被告人ら執行部の意の儘に組合全体を指導、誘導し、議決機関をも全く形骸化して完全に独走したかの如く認定したことは、争議行為の実態を正しく認識しないものというべく、事実誤認の誹りを免れない。この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるからこの点の論旨は理由がある。

第六控訴趣意第四点(乙)及び同補充書第三(せん動の共謀についての事実誤認の主張)のうち被告人田辺孝夫のアリバイの主張について。<省略>

第七控訴趣意第四点(丙)及び同補充書第四(各支部の口頭伝達に関する事実誤認の主張)について。<省略>

第八控訴趣意第六点の第一、(憲法二八条の解釈適用の誤りの主張)について。

論旨は原判決が地公法三七条一項、六一条四号は憲法二八条に違反しないとしたのは憲法及び法令の解釈適用に誤りがあるというのである。

一、地公法三七条と憲法二八条との関係について。

憲法二八条は、勤労者の労働基本権、すなわち、その団結権、団体交渉、その他団体行動をする権利を保障しているが、これは生存を支える一つの手段としての財産権と異なり、労働以外にその生存を確保する手段のない労働者にとつては不可欠の基本的手段であつて、憲法二五条のいわゆる生存権保障に由来するものである。そして一般私企業の労働者は勿論、公務員も勤務者である以上、原則としてこの労働基本権の保障を受けるものであつて、公務員が「全体の奉仕者」であるという憲法一五条を根拠としてこの基本権をすべて否定することの許されないことは、最高裁判所判例(昭和四一年一〇月二六日大法廷判決参照)の示すところである。然るに地公法三七条一項は、職員(一般職の地方公務員。以下同じ。)が争議行為等をすることを禁止し、また何人もこれ等違法行為を企て、その遂行を共謀し、そそのかし、若くはあおつてはならないとするのであるが、これは明らかに憲法二八条の保障する争議権を制限するものである。然し右労働基本権といえども絶対無制限のものではなく、労働者を含めて国民生活全体の利益の保障という見地から必要な制約を当然に内在的制約として内包していることも右判例の示すとおりである。殊に、公務員については、その担当する職務は多種多様にわたり、それが国民生活全体に及ぼす影響には固より程度の差、あるいは直接、間接の相違があることは免れないとはいえ、互いに、関連し合つており、窮極には共に国民生活全体の利益を志向するものであるから、公務員が争議行為により組織的、集団的に労務の提供を拒否することは国又は地方公共団体の業務の正常な運営を阻害するものであり、延いて、国民生活全体の利益を害し、その生活に重大な障害をもたらすおそれがあることは否定し難い。したがつて、公務員については一般私企業労働者とは異なり、その争議行為を禁止することも必要やむを得ないものとして是認されるのである。而も、公務員の勤務条件は法律又は条例によりその適正が保障され、地方公務員については、原判示丙第四の一において詳細に説示するとおり、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は条例で定めることとし、給与は生計費ならびに国及び他の地方公共団体の職員の給与ならびに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮する等、その職務と責任に応ずるよう定め、給与以外の勤務条件についても国及び他の地方公共団体の職員との間に権衡を失しないように、適当な考慮を払つて定めるべきもの(地公法二四条、)とする等、その勤務条件の法律又は条例による適正が保障されているのである。(本件の和歌山県についてみると、職員については昭和二八年一二月二六日県条例五一号「職員の給与等に関する条例」があり、教職員については同日県条例五二号「教育職員の給与等に関する条例」同日条例五三号「市町村立学校職員の給与等に関する条例」がある)さらに国家公務員はさておき地方公務員については、争議行為を禁止する反面、これに見合う代償措置として、原判示丙第四の一に説示するように、地公法は、中立性が保障され、任命権者から独立した専門的な人事行政機関として人事委員会を設け、これに原判示のような権限を持たせて職員の給与その他の勤務条件の適正を確保する為の機能を果させている。(地公法七条、ないし九条、二六条、四七条、五〇条。)一方職員に対しても人事委員会に対し、勤務条件に関して地方公共団体の当局により適当な措置がとらるべきことを要求することができ、(本件で問題とされている措置要求はこれに当る。)任命権者から懲戒その他の不利益処分を受けたときは該処分の審査請求をする権利を認めている。(地公法四六条、四九条。)もつとも、人事委員会の勧告及び意見には相手機関を拘束する効力がなく、相手機関がこれを実施しない場合の有効な措置が採られていないこと等のため、それが必ずしも満足すべき機能を果していないことは所論指摘のとおりであり、その完全な実施の望ましいことは勿論であるけれども、右の措置が勤務条件の適正を確保するために現に果している役割も又無視することはできないのであつて、所論の如く代償措置としての機能を果していないとはいえないのである。

したがつて、地方公務員(地公法の適用を受ける一般職地方公務員をいう。以下同じ)の争議行為等を禁止する地公法三七条一項が憲法二八条に違反するものとはいい難い。もつとも、この点に関し、所論は原判決のILO八七号条約、同九八号条約ならびにILO結社の自由委員会の第五四次、第五八次、第六六次報告に関する見解についての判断は、ILOの公務員の争議権ないしその禁止に伴う代償措置についての真意を理解しないものとしてこれを論難するのである。なるほど、所論ILO八七号条約は原判決当時は未だわが国において批准されていなかつたので、その当時においては、この条約を「憲法上遵守すべき義務を負うものでない」とする原判決の判断それ自体は誤りではないが、その後同条約の批准を見た現在それを遵守すべき義務のあることは勿論である。ところで地公法三七条が右各条約に抵触するかどうか(九八号条約はすでに批准ずみである。)について検討してみると、右八七号条約の基本原則を具体化した九八号条約については、その第六条において、「この条約は国の行政に従事する公務員の地位を取扱うものではなく、またその権利または分限に影響を及ぼすものと解してはならない。」とされており、ただ、その公務員の概念は必ずしもわが国のそれと正確に一致するものではなく、又その範囲についても、必ずしも明確にされていないけれども、ILO結社の自由委員会はわが国にかかる六〇号事案において、国家公務員法及び地方公務員法下の職員団体制度を全般的にとりあげ、その中で、法定の勤務条件を享受する公務員は、九八号条約第六条によつて同条約の適用を除外されており、国公法及び地公法によるこれら公務員の労働協約締結権の否定は通常の慣行であるとしてこれを同条約に適合するものと認めている(第一二次報告)ほか、わが国にかかる一七九号事案においても右のことを再確認し、これ以上審査を要しないとしている(第五四次報告)ことからみても、法定の勤務条件を享受する公務員については、右九八号条約の適用のないことは明らかであるというべく、したがつて、地公法三七条の規定は同条約と直接関連を有するものではない。次に八七号条約について考えてみると、同条約は争議権に関して直接規定するところはなく、それが採択された当時においても、同条約は争議権を取扱うものではないと解され、ILO結社の自由委員会でも、同条約はストライキ権を直接保障するものではないとの立前をとつて来たが、原判決も説示するとおり、その後公務員のストライキを禁止することは同条約八条二項に違反する可能性があることを指摘し、同条約も争議権に関係あることを明らかにしながら、法定の雇用条件を享受する公務員は、大多数の国においてはその雇用を律する法令により通常ストライキ権を否認されており、この点についてはこれ以上考慮を加える理由はないと考えるとして、法定の勤務条件を享受する公務員の争議権の否認は通常であるとし、(第一二次報告)、ストライキ禁止の代償としては、法令の定める雇用条件を享受することで十分であるとする考え方を示すに止まつた。ところが、その後、前記一七九号事案において、右のことを確認しながらストライキ禁止の代償措置について、その重要性を再確認した上、わが国の地公法上の代償制度について、原判決が詳細に説示する如く、人事委員会の委員の中立性及びその任命の方式についての疑いを表明し、かつ、人事委員会の勧告に拘束力のないことを指摘して、地公法にも公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)及び地方公営企業労働関係法(以下地公労法と略称する。)と同様の、公平、かつ拘束力ある仲裁機構を設けるべきであることのほか、委員の中立性、その任命方式等についても検討すべく配慮することの勧告が為されるに至つたのである。(第五四次、五八次、六六次報告)しかしわが地公法上の人事委員会の構成、機能については、さきに説示したとおりのものであつて、それが右八七号条約に抵触するものとは考えられないし、又右の勧告もただ争議権を禁止する代償措置として、公労法や地公労法と同様の公平かつ拘束力ある仲裁機構を設けることの当否をわが国の実情を勘案して「検討するよう示唆」あるいは「検討するよう配慮することを示唆」するというに過ぎず、これを以て憲法上遵守義務のある確立された国際法規とはいえない。

また、原判決後、ILOと国際連合の合意にもとずき、ILOに設置されている結社の自由に関する実情調査調停委員会が、わが国に関する前記一七九号事案について、一九六五年(昭和四〇年)九月一日、ILO理事会に提出したいわゆるドライヤー報告書においても、公務員のストライキ権については、結社の自由委員会が樹立して来た一連の原則を確認しているのであつて、その内容はストライキ権を制限する場合の基準について、ただ公労法及び地公労法の適用事業に関してのみ勧告が為されているに止まり、国公法及び地公法の適用される非現業公務員については、法令による勤務条件を享受しているため、争議権の否認は無条件に承認されるとする立場を踏襲し、この点に関しては何ら言及していないのである。(二一四〇項、二一三六項、もつとも二一三九項、二一四一項においてはパブリックサービスの用語が使われていることを根拠にその勧告が公務員についても言及しているとする見解もある。)このことは組合側の申立自体も、「争議権の否認も、必ずしも是認するものではないが、」としながら代償措置が不備であることに主眼をおいていたことからも明らかである。そしてその代償措置については地方公共団体のそれについて批判を加え、人事委員会の委員の中立性を確保する為の措置が不十分であるから、その確保のための方法を公務員制度審議会に付託することが「望ましい」との示唆(二一五〇項ないし二一五二項。)が為されである。又人事委員会の機構の点にも触れ、それが不完全であるから、これらの制度全体の改正についても「考慮すべき」旨の勧告が為されているだけで、特にこと新らしいものではなく、それもただ単なる示唆、注意の勧告に止まり、確立された国際法規とはいえない。さらにその後、一九六六年(昭和四一年)一〇月ユネスコが執行委員会の決定によつて招集した、教師の地位に関する特別政府間会議において、ユネスコ、ILO共同作成のいわゆる「教師の地位に関する勧告」が採択されているけれども、その八四項において、「雇用条件から生じる教員と雇用主との間の紛争解決に当る為、適切な合同機関が設置されなければならない、もしこの目的の為設けられた手段と手続が利用し尽され、あるいは当事者間の交渉が行きづまつた場合、教員団体は、他の団体がその正当な利益を保護する為普通もつているような他の手段をとる権利を持たなければならない。」と述べている中の「他の団体が……普通持つているような手段をとる権利」の意義について、これをストライキ権を認めることを意味するとの見解(当審証人中山和久の証言)もあるけれども、それが採択された経緯及びそのまわりくどい文言からみても必ずしもそのようには解せられない。(京都地方裁判所における証人相良惟一の供述調書)いずれにしろ右勧告は教師の地位についての国際的な規準を示したもので、それぞれの国家における立法措置により、あるいは既存の国内法規の解釈適用により、実現されることが期待されている国際的な諒解としての意味をもつものであり、その措置をとるべきことの希望の表明をしたに過ぎず、もとよりこれが確立された国際法規とはいえないのである。さらに又W・C・O・T・P(世界教員団体総連合)アジア委員会の決議も、それはただ前記「教師の地位に関する勧告」の八二項ないし八四項について、日本政府の注意を喚起するというに過ぎず、これを以て右勧告についての前記解釈を左右するものではない。

以上のとおりであるから地公法三七条はILO八七号条約、九八号条約等に何ら抵触するところはなく、憲法九八条二項にも違反するものではない。これと同旨の原判決の判断には何ら憲法及び法令の適用の誤りはない。論旨は理由がない。

二地公法六一条四号と憲法二八条との関係について。

地公法三七条一項において、地方公務員の争議行為等を禁止することが憲法二八条に違反しないことはさきに判断したとおりであるが、そうだからといつて直ちに地公法六一条四号も憲法二八条に違反しないとはいえないのである。殊に、地公法は三七条一項において、前示のとおり職員の争議行為等を禁止し、なおその遂行の共謀等を禁止しているのであるが、前者の禁止違反たる職員の争議行為等そのものを処罰しないのに拘わらず、同法六一条四号は、後者の争議行為等の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またこれらを企てる等の争議行為等に関連して行われるとみられる、これらの行為のみを処罰している点において、それが果して必要やむを得ないものであるか否かを考慮する必要があるのである。すなわち、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を内容とする争議行為等は、憲法が労働基本権を保障した趣旨、争議行為が犯罪からの解放の方向に進んで来た歴史的経過、(前記最高裁判所判決参照)等に照して、一般的について刑罰をもつて臨むべきではないと認めるのが相当であり、公労法及び地公労法が、職員の争議行為等を禁止しながら、これに違反して争議行為をした者に対して何ら刑罰による制裁を定めていないのもこの趣旨に出たものと解せられる。そして、争議行為等は、後記のように、労働者の個別的な労働放棄ないし不履行ではなく、それが組織的、統一的に行われる集団的行為であり、それは企画、立案され、討議、決定され、指令、指示が発出、伝達され、またその間、説得、慫慂、激励等があつて行われるのが通例であり、これらが争議行為等の共謀、そそのかし、あおり、又はこれらの行為の企てのいずれかに該当すると認められるのであつて、而もこれらの行為は、争議行為等に必要、不可欠かまたは通常随伴する一連の行為と解するのが相当である。そして、これらの行為は、単に一部組合役員によつてのみなされるというものではなく、強弱の差こそあれ、一般組合員相互間においても行われ、遂に争議行為等に発展するものもあるから、もし、これらの行為を処罰するということになると、単純な争議行為等の実行々為者は処罰しないとの趣旨にも反し、実質上争議行為等を一律かつ全面的に刑罰を以て禁止することとなり、地公法六一条四号は憲法二八条に違反するおそれがあると解せられる。しかし、地公法六一条四号にいう「何人たるを問わず」、「争議行為等の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、又はこれらの行為を企てた」者の意義、殊に本件で問題とされている「あおり」の意義、内容を後記のように(第一二の五)それらが強度の違法性を帯びるものと認められるものに限定して解釈する限り、それは、争議行為等に必要、不可欠の行為ないし通常随伴する行為とは認められないから、これに対して刑罰の制裁を科することは実質上争議行為等を刑罰によつて一律に禁止することにはならず、公共の福祉の要請からみて、やむを得ないものと考えられ、かつその罰則(三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金)も必要の限度をこえているとは思われないから、地公法六一条四号は、憲法二八条に違反しないものということができる。原判決が地公法六一条四号を合憲とした理由は正鵠を得たものではないが、その結論そのものは正当であるから論旨は理由はない。

第九控訴趣意第六点の第二、(憲法一八条の解釈適用の誤りの主張)について。

論旨は、原判決が地公法六一条四号は憲法一八条に違反しないとして、同号を適用して被告人らに有罪判決をしたのは憲法及び法令の解釈適用に誤りがあり、又、ILO一〇五号条約にも違反するというのである。

憲法一八条後段の規定は、意に反する苦役からの自由、すなわち、自己の意思に反して他人の為に苦役を強制されることのないことを保障するもので、この規定は、周知のようにアメリカ憲法修正第一三条に由来するものである。そしてその趣旨は、同条一項に「奴隷及び意に反する苦役は正当に有罪と宣告された刑罰として以外には、合衆国内及びその主権の及ぶ地においても、存在することは許されない。」との規定が追加規定されるに至つた沿革から推測されるように、もともと、奴隷制度の廃止、すなわち、自己の意思をもつて労働関係から離脱できない奴隷的拘束からの解放を目的とするものであるが、奴隷制度の廃止された現在においては、同条が労働者の労働放棄の権利の保障をその重要な理念とすることも明らかである。わが憲法一八条も又、その理念とするところは、これと別異に考える理由はないのであつて、奴隷的拘束からの解放のみならず、自由意思による労働関係の場合においても、労務の不提供を刑罰の対象とすることを禁止したものと解するのが相当である。そして、そのことは単に労働者個人の労働放棄に止まらず、その統一的、団体行動としての争議行為にも当てはまるところであり、したがつて争議行為に必要にして不可欠か、又は通常随伴する行為としてのその遂行等を共謀し、そそのかし、もしくはあおつたりする行為も、一般的には争議行為自体と同様、これに刑罰を科することは許されないとしなければならない。しかしながら地公法六一条四号に規定する右のあおり等の行為は後記のように(第一二の五)特に違法性の強いもので、これを容認することが公共の福祉の要請からみて許されないとするものに限定して解釈する限り、これらの行為は、争議行為に必要にして不可欠か又は通常随伴するものとは認め難く、法律上保護の対象となるものではないから、これらの行為を処罰する右地公法六一条四号は、憲法一八条に違反するものではない。

なお所論は、ILO一〇五号条約についても論及しているが、同条約は未だわが国において批准されていないし、又それが確立された国際法規とはいえないのである。したがつて、地公法六一条四号が右条約に抵触するとする所論は採るを得ない。

以上のとおりであるから論旨はいずれも理由がない。

第一〇、控訴趣意第六点の第三、(憲法三一条の解釈適用の誤りの主張)について。

論旨は、地公法六一条四号の構成要件は極めて不明確であり、又、刑罰法規として合理性を欠き、憲法三一条に違反するのにこれを合憲であるとした原判決には憲法及び法令の解釈適用に誤りがあるというのである。

憲法三一条がその文言から刑事手続の適法性、正当性のほか、刑事実体法についても、その文言の明確性と、内容の合理性とを要求していることは所論のとおりであり、このことは原判決も認めているところである。

一地公法六一条四号の構成要件は不明確か。

地公法六一条四号の構成要件の解釈が区々に岐れているところであり、したがつてその解釈に困難のあることは明らかであるが、法律の規定は、その性質上ある程度抽象的にならざるを得ないのであつて、具体的にこれを適用するにあたり、その解釈が必要とされるが、その解釈の困難さの故に、それが不明確とはいえないのである。そして地公法六一条四号の構成要件について見るに、「何人たるを問わず、」、「三七条一項前段に規定する違法な行為」、「共謀」、「そそのかし」、「あおり」「企て」等多少の差はあれ、その法解釈の困難さはあるが、「共謀」、「そそのかし」、「あおり」については他の法令におけるものではあるが、既にほぼ確立した判例による解釈が行われていて、(「共謀」につき最高裁判所昭和三三年五月二八日大法廷判決、「そそのかし」につき、同裁判所昭和二九年四月二七日判決、「あおり」につき、同裁判所昭和三七年二月二一日大法廷判決。)強い異論はない程であつて、この点から考えても明確性を欠くとはいい難く、その他の構成要件についても、その意味、内容の解釈は岐れ得るにしても、それが不明確であつてそのため犯罪者に対して不当な不利益を与えるようなおそれがあるとは考えられないのである。

よつて地公法六一条四号の構成要件が所論の如くあいまいで、極めて不明確であるとはいい難い。

二刑罰法規として合理性を欠くか。地公法はその三七条一項において、職員の争議行為等を禁止し、これを違法としながらその争議行為等の実行々為者を処罰しないのに、その前段階的行為とみられる共謀、あおり等の行為を、それが違法行為遂行の可能性に従属性をもつているとはいえ、実行々為の有無を問わず、独立して処罰するものとしている点において、一般刑罰体系からみて極めて異例のことであり、一見刑罰法規として不合理の感がないではない。しかし、右あおり等の意義、内容を後記のように(第一二の五、)限定して解釈する限り所論の如く刑罰法規として合理性を欠くものとはいえない。

以上のとおりであるから地公法六一条四号は所論の如く憲法三一条に違反するものではない。論旨は理由がない。

第一一控訴趣意第六点の第四(地公法三七条の解釈適用の誤りの主張。)について。

一先づ論旨は、本件一斉休暇は年次有給休暇請求権の行使であつて、同盟罷業に該当しないというのである。

地公法三七条一項は、「職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。」と規定するのみであつて、争議行為の定義づけはなされていない。しかし、ここにいわゆる争議行為とは、固より職員の個別的労務放棄は含まれないが、職員の団体が、その主張を貫くため、当局の管理意思に反し、組織的、統一的、集団行動として行う労務の不提供等であつて、その結果、当該地方公共団体の業務の正常な運営を阻害するものと解する。ところで本件一斉休暇が原判決説示のとおり、和教組々合員が、県教育委員会の勤評実施に反対し、その規則の廃止を要求することを目的として、校長の承認を得ないで年次有給休暇届を提出して、全貫一斉に職場を放棄して、県下各地で開かれた地公法四六条による措置要求の為の集会に参加するというものであつて、それは、当局の管理意思に反して行われるものであることからみても、当局が職員の労働力を管理支配していることを前提とする休暇の概念とは本質的に相容れないものであり、而も、その結果、公立小・中学校の業務の正常な運営を阻害することは疑いを容れないところである。したがつて、年次有給休暇がいわゆる形成権であるか、請求権であるかに拘わらず、本件一斉休暇は法律上認められた年次有給休暇の請求としての取扱いを受けることはできず、これを争議行為として評価すべきものである。これに反する論旨は理由がない。

二次に論旨は、本件一斉休暇は地公法三七条一項の禁止する争議行為に該らないというのである。

地公法三七条一項において、地方公務員の争議行為等を禁止する趣旨は、さきに第八の一において述べたところであつて、この禁止に反して争議行為等を行うことは地方住民全体の生活に重大な障害をもたらすおそれがあるものとしてすべてこれを違法とせられるのである。したがつて、その争議行為に所論の如く、住民の利益の保持増進に向けられ、それに沿う適法な争議行為と、そうでない争議行為とがあつてこれを区別し、地公法三七条一項は、後者の争議行為のみを禁止する趣旨であるとすることは、それ自体失当であつて、この点に関する原判決の判断に誤りはない。論旨は理由がない。

第一二控訴趣意第六点の第五、同補充書第五(地公法六一条四号の解釈適用の誤りの主張)について。

論旨は、本件体暇斗争が争議行為であるとすれば、被告人らの本件指令及びその趣旨の伝達行為は、争議行為そのものとして評価すべきものであり、これを別個に評価して争議行為をあおつたものとして有罪判決をした原判決は地公法六一条四号の「あおり」の解釈適用を誤つたものであるというのである。

一、地公法六一条四号所定の「あおり」とはせん動と同義であつて、同法三七条一項前段所定の争議行為等を実行させる目的を以て、人に対しその実行の決意を生ぜしめるような、又は既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺げきを与える行為をいうものと解すべきところ(前記最高裁判決参照)、これが「共謀」、「そそのかし」等の行為とともに、争議行為等に必要、不可欠か、又は通常随伴する行為と見られることは前説示のとおりであるから、右争議行為等が処罰されないのに右「あおり」等の行為が処罰されるとする理由については十分検討を要するところである。殊に、同号には、次に述べるように問題点を多く含んでいることを考えると単にその文理解釈にとらわれることなく、憲法が保障する労働基本権尊重の根本精神に即してこれを適正、かつ、合理的に解釈する必要がある。

二地公法三七条一項において、地方公務員に対し争議行為等を禁止しまた何人も争議行為等を企ててはならないと規定しながら、同法六一条四号においてはこれを処罰する規定を欠いている。したがつて、公務員が単に争議行為等を遂行するだけでは違法行為として雇傭上の不利益処分に対抗する権利を否定されるけれども、刑罰を科せられることはないのである。これは前説示の如く、公務員も勤労者であり、原則的には憲法二八条による労働基本権を保障されるが、国民生活全体の利益の保障の見地から争議行為を制限されるのはやむを得ないとしても、その制限は合理性の認められる必要最少限度に止めるべきであり、特に、その制限違反に対し刑罰を科することは、それが同盟罷業、怠業のような単純な不作為に対する場合は、特別に慎重でなければならないこと、又争議行為が犯罪からの解放の方向に進んで来た歴史的経過、さらに憲法一八条の趣旨等を考慮した結果であると考えられるのであつて、原判決及び検察官所論のように単なる立法政策の問題とみるべきものではないと考える。

三ところで、地公法六一条四号は、争議行為の実行々為それ自体を処罰せず、これを共謀、あおり等した行為のみを独立して処罰するのは単純な争議行為を行つた者に対しては民事的制裁を課するにとどめ、積極的に争議行為を指導した者にかぎつて刑事制裁を科することにしたのだ、とする説がある。しかし争議行為はほんらい一連の団体行動として、すなわち、それが実行されるに至る過程においてはさきに第五において説示した如く、企画、立案にはじまり討議、決定、説得、慫慂、指令、指示の発出、伝達等の諸々の一連の行為の集積の結果行われるのが通例である。勿論、何人の指令、指示にももとづかず自然発生的に争議行為が行われることも考えられないではないけれども、そのようなことは極めて稀有のことであつて特に考慮の必要はない。そして争議行為遂行に至る過程において行うこれらの行為は単に組合幹部より一般組合員に対してなされるばかりではなく、一般組合員より組合幹部に対しても、また組合員相互間においてもなされるものもあり、一般的定義にしたがうと、これらの行為は争議行為等の「共謀」、「そそのかし」、「あおり」あるいは「これらの行為の企て」のいずれかに該当すると認められるから、争議行為等は組合員による民主的決定によつて、実行されることを考慮すると、争議行為等の実行行為者である大多数の組合員が、その遂行の「共謀」等のいずれかをしたことになり、これらの者がすべて積極的指導をした者として処罰されることになる。そうだとすると、地公法が単純な争議行為等の実行々為者を処罰しないとする前記趣旨が没却されてしまうおそれもあるのである。而も前説示の如く、争議行為等はほんらい、組織的意思にもとづく一連の団体行動であるから、これを個々人の行為に分解して評価し、その一部を処罰し、あるいは処罰しないとすることは、その本質に反し、又労働基本権を尊重し、これを保障しようとする憲法の根本原理にも反するところである。同法条が争議行為等の積極的指導者に適用されるとする説にはにわかに同調し難い。

四地公法六一条四号は、前説示の如く、争議行為の実行々為を処罰せず、その前段階的行為である共謀、あおり等の行為を処罰するものであり、而もそれについて、相手方が違法行為の実行の決意を生じたこと及び実行々為の有無を問わず、独立して処罰するのである。これは違法行為実現の可能性に従属性をもつているとしても、一般にせん動、教唆等の予備的段階にある行為を独立して処罰するのは、既遂行為の違法的評価が特に大きい犯罪類型の場合に限られ、また教唆、せん動、幇助者を処罰するのは、少くとも本犯が違法行為を実行した場合に限る(共犯の従属性)とされているほんらいの刑罰体系からみれば、極めて異例のことに属するのである。原判決及び検察官は、組合幹部の行う前記一連の行為は争議行為の原動力となり、これを誘発する危険性のある行為であり個々の組合員の実行々為に比べて違法性が強いからこれに独立して可罰性を認める合理的理由があるというのであるが、争議行為等は何回も繰返すように、職員の組合による組織的、統一的意思にもとづく団体行動であつて、各組合員による討議を経た上多数決により決定され、実行されるものであつて、それは必ずしも組合幹部のみの独断的意思にもとづき、その意図の儘行われるものではない。時には一般組合員多数の意思にもとづきそれが提案され、決定され、組合幹部はただその決定にしたがつて指令、指示を発出するに過ぎない場合もあるのであつて、組合幹部の行為のみが常に必ず違法性が強く、可罰性のあるものとは限らないのである。したがつて、組合幹部によつて通常行われる前記一連の指導行為も広い意味において争議行為等の遂行と同等に評価すべきが相当であつて、これを一般組合員の実行々為と別個に評価すべき合理的理由は見出し難いのである。

五以上の憲法が勤労者に労働基本権を保障した趣旨、これを制限する場合の限度、殊にその制限違反に対しそれが単純なる労務放棄の不作為の場合には民事的な制裁を課せられるに止まり、刑罰を科せられないのが原則であること、争議行為の犯罪からの解放の歴史的経過、さらに争議行為の実態、地公法六一条四号が刑罰体系上異例の刑罰法規であること等を彼此考え合せると、地公法六一条四号において可罰性のあるものとされるのは、前記一般的意味において、同号に掲げる行為に該当するとみられるものをすべて含む趣旨ではなく、そのうち前説示の如く争議行為に必要不可欠か、または通常随伴するいわばその構成分子と考えられ、広い意味において、争議行為等の遂行と同等の評価を受ける行為を除き、それらの行為がその態様、手段等において右の範囲を逸脱し、公共の福祉の見地からもこれを容認し難く、もはや法律上の保護の対象とするに値しないもので、その処罰もやむを得ないと認められる程度の違法性を帯びるものに限ると解するのが相当である。

六しからば被告人らの本件指令及びその趣旨の伝達は、地公法六一条四号のいわゆる「あおり」行為に該当するか。被告人北条、同平尾、同浜本、同田辺、同坂本のした指令及びその趣旨の伝達行為については、原判決が甲第四の一、二、において認定するとおりであることはさきに判断したところである。

そして記録によると、本件勤評反対斗争の過程において、和教組執行部が休暇斗争戦術をとることについてはさきに事実誤認の主張に対する判断の際に認定し、あるいは原判決も認定するとおり、すでに昭和三二年一一月二五日の拡斗において最低二割五回の線が打ち出されており、同年一二月二一日の臨時拡斗において、日教組臨時大会議案である最重要段階における休暇斗争を含めた強力な統一行動案が承認され、次で昭和三三年一月二一日の和教組第一四回臨時大会において右日教組において決定された事項を和教組としても可決決定し、同年三月二五日拡斗において、さきの同年二月二二日の和教組第一五回定期大会において委任された斗争戦術のうち一斉休暇斗争を組織の実体に即して行うことの方針案が決定され、さらに同年五月七日拡斗において、第五波斗争として最重要段階には一斉休暇斗争を組識することが可決決定されている。そしてその間右休暇斗争戦術については、各下部機関ないし職場に議案が流され、それぞれの機関、職場において討議の機会が十分与えられ、組合員の多数の者はこれを理解し、賛成していたこと、このことは同年五月一八日の全組合員による一斉休暇斗争戦術についての賛否投票の結果約八〇パーセント近い賛成を得ていることによつても認められる。これらの事実によると、本件休暇斗争実施が決定された頃には、その比率は必ずしも明らかではないが、多数の組合員が最重要段階、すなわち県教育委員会が勤評規則を実施するときは一斉休暇斗争を行うものであることを決意していたこと、かかる状況下において、同年六月三日拡斗において県教育委員会の勤評規則実施を知るや、既定方針どおり一斉休暇斗争実施を決定し、その指令が発出、伝達されるに至つたことが明らかである。そうすると、本件一斉休暇斗争すなわち争議行為について組合執行部の積極的指導が大きく影響していることは否定し難いけれども以上の経過を経て、それぞれ組合の議決機関に提案、討議され、その議決を経た上組織の意思として指令が発出、伝達されたもので、被告人北条がこれを書記局事務員らを介して職場委員宛に打電伝達したことも、被告人平尾、同浜本、同田辺、同坂本らにおいてそれぞれ所属支部の職場代表者に指命及びその趣旨を伝達したことも、和教組書記長、あるいは支部書記長であり、和教組執行委員としての職責上通常行うべきものであり、又組合の内部規律にしたがつて行われたものであつて、右各被告人の行つた指令及びその趣旨の伝達の内容も、通常の指令の伝達の範囲を逸脱するような激越なものではない。而して本件争議行為の目的、態様、手段、方法等について見るに、上来縷述した通り、その目的は勤務条件に関する措置要求そのものであつて、格別政治目的その他違法視せられるものではなく、その態様は単に一日間の授業放棄等の単純な不作為にとどまり、長期にわたつて国民生活に重大なる障害を与えるものとも認められず、また手段、方法としては何等暴力の行使その他の不当性を伴わないことが明らかで、地公法三七条一項前段の争議行為として民事的制裁は免れ得ないとしても、その限界を逸脱し、刑事制裁を免れないとする程度のものでないと認められるのである。そうだとすれば本件指令及びその趣旨の伝達行為は仮にそれが前説示の如く、地公法六一条四号の「あおり」の定義に一応あてはまるとしても叙上の如く強度の違法性をもつものとは考えられず、さきに説示した意味での争議行為の遂行と同等に評価すべきが相当であるから、右の程度では可罰的違法性を欠くものと解すべきである。もつとも本件指令の伝達が行われなかつたならば本件争議行為の遂行も行われなかつたであろうことは明らかであるけれども、それは組織の意思としての指令そのものの拘束力であつて、せん動の結果に因るものではない。勿論その指令は違法な争議行為の遂行を命ずるものであつてほんらい法的拘束力はないけれども、正当に選出された代表者により正当に議決機関の議決を経て発せられた指令は事実上の拘束力を有するものというべきであるから、この点に関する原判決の判断及び検察官所論には賛成することができない。

七以上のとおりであるから被告人らの本件指令及びその趣旨の伝達は可罰的違法性を欠き地公法六一条四号の共謀による争議行為遂行のせん動罪は成立しない。(しかしそれが違法性の比較的重い職務執行の義務違反として懲戒処分の対象となることは別問題である)結局論旨は理由がある。

第一三、よつて、原判決には前記第五の10において判断したとおり本件休暇斗争全般における被告人ら和教組執行部の行為の評価の点において事実の誤認があり、又被告人らの本件行為を地公法六一条四号に該当するとした点について、法令の解釈適用の誤りがあり、右の各誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、その余の各控訴趣意に対する判断を省略し刑事訴訟法三九七条、三八二条、三八〇条、四〇〇条但書により、昭和三八年(う)第二二三一号事件の原判決中有罪の部分及び同年(う)第二二三二号事件の原判決を破棄しさらに次のとおり自判する。

被告人らに対する本件公訴事実は

被告人岩尾覚は和歌山県教職員組合執行委員長、<中略>であるところ教職員に対する勤務評定実施に反対し、これを阻止する目的を以て、同組合傘下組合員である市町村立小、中学校教職員をして年次有給休暇に名を藉り、校長の承認なくしてもなお就業を放棄し同盟罷業を行わしめるためこれをせん動することを共謀の上、

(一)  同組合支部役員たる被告人平尾利彦、同浜本収、同坂本昇、同田辺孝夫らにおいて、昭和三三年六月三日和歌山県内において市町村立小、中学校の教職員である職場代表者らに対し同日開催された右組合の拡大斗争委員会で一斉十割休暇を実施することが決定されたので組合員全員は休暇届を提出するのみで校長の承認なくして来る六月五日開催される勤務評定反対に関する措置要求のための集会に参加すべき旨を伝達すると共に同人らを介してその頃和歌山県内において傘下組合員である右学校の教職員約三二〇〇名に対し同趣旨を伝達し、

(二)  同組合本部役員たる被告人岩尾覚及び同北条力らにおいて、同月三日和歌山電報局より和教組執行委員長岩尾覚らの名義を以て、校長の承認なくして来る六月五日開催される勤務評定反対に関する措置要求のための郡市単位の集会に参加すべき趣旨の指令を県下の市町村立小、中学校五三四校の教職員たる職場委員宛に打電し、これらを含む傘下組合員である右学校の教職員約六、五〇〇名に対し右指令を伝達し、以て地方公務員たる市町村立小、中学校教職員に対し、同盟罷業を遂行すべきことをあおつたものであるというにあるけれども、被告人らの右所為はさきに判断したとおり犯罪を構成しないから刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。(山田近之助 藤原啓一郎 瓦谷末雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例